「本当」を考えてみたい。
子どもたちの考える力がないのではなく本当はただ「自分」がなくなったのではないだろうか?
お金がほしいのではなく本当は安心がほしいのではないであろうか?
ゲームをしたいのではなく本当は時間を潰したいのではないであろうか?
人と同じが好きなのではなく本当は同調圧力を恐れているのではないであろうか?
勉強が嫌いなのではなく本当は勉強という行為が嫌いなのではないであろうか?
自己肯定感を持てないのではなく本当他者の目線を気にしすぎているからなのではないであろうか?
自分の本当に求めているものは何であろうか?
求めているもの+やりたいこと+行動、これが伴わない限り「本当」に近づくことはないであろう。
人生一回限り、「本当」を失いながら生きていくことほど虚しいものはない。
「本当」とはなんであろう。
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