アルバイト時代 二二歳
ガソリンスタンドでアルバイトをしながら丸紅トレレーダーズ(当時2部)でバスケットボールをやる。1日8時間立ちっぱなし。それから練習という過酷な毎日。1週間に1回は足をつった。その後アルバイトから社員になった。
丸紅トレーダーズ時代(現Bリーグ) 二三歳
私の尊敬するコーチ、パトリック・ライアンにバスケットボールを教わる。ディフェンスの必要性、重要性などはとても勉強になった。とにかくバスケットボールに詳しく、一から教わりよく怒鳴られもした。2部で優勝し入れ替え戦に持ち込み1部昇格を果たす。しかし、その1年後最下位となる。2年後休部となる。
ジャパンエナジー時代(JX) 二四歳
24歳でプロになった私。毎日バスケットボールができる環境ではあるが過酷であり毎日挑戦であった。スーパースターばかりで必死だった。周りはインカレ優勝者ばかりで自分の実績などちっぽけなものであった。外国人選手はコーリー・ゲインズ。元ニューヨークニックスのPGであり全日本のアドバイザーでもある。とても勉強になった。10ヶ月後休部となる。
ボッシュ(ゼクセル)時代 二五歳
監督は2回変わった。優秀な選手もいて、毎日の練習は競争であった。4年後休部となる。
外部コーチ時代 三〇歳
1年間近くの高校で外部コーチをおこなった。教師への思いが芽生え免許取得に励む。長男を抱えながら。教員補助の職は1年契約だったので職を失う。
サラリーマン時代 三一歳
教師の免許を取得しながら1年契約社員として印刷業で働く。1年後職を失う。
派遣時代 三四歳
ちらしを見て職を探した。そして、派遣業で働きながら教師を目指す。しかし、教員試験に落ちる。
迷走時代 三八歳
頑張って派遣先の会社で社員になることができた。生活がまともにできることに感激を覚えた。
夢ややりたいことができるのはそう簡単なことではない。子供もいて生活をしなければならい。夢を持てる人はある意味では恵まれている人だと、この時少し思った。また、お金の重要性も学んだ。
コーチ時代 四〇歳
その後、母校の大学のコーチの話が舞い込む。せっかくの社員という道を捨てた。そして、大学院にも通い母校の大学の職員にるつもりが結果的になれなかった。2年間の大学院で学んだ努力が消えた。
安城学園時代 四二歳
非常勤として愛知県の安城学園に入る。子供を神奈川において。とてもさみしかったことを覚えている。子供のことを考え神奈川に戻るが職はもちろんない。ハローワークに行くが42歳の中年にそう簡単に職が見つかるわけがない。見つけても調べるとブラック企業であった。生活するお金がなくなり金融機関に借りたりもした。
塾経営時代 四四歳
その後、知り合いの会社で塾運営を任されるが生徒数が少なく閉鎖することに決定。その後介護の仕事へ行く。
介護職時代 四五歳
過酷な介護職時代。高齢者の突然の心臓発作、車の中での激しい嘔吐、汚物処理などなど。したくなくてもしなければならない、生きていくために・・・。やりたいやりたくという感情を持てること、それは恵まれている証拠である。究極になると無になるのである。人は・・・。
そして、私は今ここにいる。四七歳
アレセイア湘南中学・高等学校に・・・。
何のために?
まだ、小さな世界しかしらない子どもたちに・・・・
大切なことを伝えるために・・・。
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