私がアレセイア湘南高校に着任したのは2年前である。その時、1年生部員は0人であった。部という組織を継続するには毎年ある一定の人数が必要になる。途切れるとまたチーム作りはやり直しである。0人というのはこれからのアレセイア湘南高校を立て直していくにあたって致命的であった。入る前にまさか0人とは思いもしなかった。部の存続、組織の立て直しにはやはり人がいなければ始まらない。「やってやる!」という思いを持ってアレセイア湘南高校に入ってきた私だが始まる前から前途多難であった。人数集めのために、校内で勧誘をしたが誰も入部はしなかった。
アレセイア湘南高校は毎朝礼拝を行う。その礼拝に向かう途中、大きな生徒を私は見かけた。彼は188㎝あった。私は声をかけた。「君、大きいね。一緒にバスケットやらない?」返答は「いいえ、やりません」だった。「中学の時に何部だったの?」と聞くと「サッカー部です」と・・・。ダメか・・・。それから数カ月して。彼は体育館にやってきた。「少し興味があって・・・」と。それから彼は入部することになった。もちろんバスケットボールのルールは全く知らない。ボールもつかめない。当然である。やったことないのであるから・・・。それから彼との二人三脚が始まった。練習をするが簡単に上手くはならない。他の選手もストレスでつい文句を行ってしまう。パスも入れたくない。邪魔、どけ!のオンパレード。しかし、彼を守るのは私しかいない。他の生徒を諭した。初心者なんだから理解しろ!と。私は諦めなかった。絶対に上手くなる。上手くさせる。指導者の腕の見せ所は初心者をいかに上手くさせるかである。私がコーチングを学び向上したスキルは「私ができない人になれる」である。だから共感ができるスキルを持っている。彼には一度も怒ったことはない。唯一怒った時は彼が試合中勇気を出さず、私の心が悲しい思いをした時だけである。人の思いに目をそむけるな!と呟いたりした。
練習後、毎日基本練習、基本トレーニング、いろいろな刺激を入れてバスケットボールに必要な感覚を養った。すると1日1ミリずつ成長して行った。ある時期に来ると上達というものは急加速する時があること知っていたのでその時には猛練習を課した。もちろんバスケットボールだけでなく専門知識を持っているトレーニングコーチの力もあり、みるみる成長していった。お米もプレゼントしたくさん食べてもらった。現在は唯一、1人だけの3年生、193cm、85kg、50m6.5秒の選手になった。今では大学からの誘いも来ている。たらればはよくないがあと1年あったら彼は間違いなく神奈川県でNo、1センターになっていたことであろう。バスケ歴2年で。
彼との物語はあと半年で終わる。私が彼のためにしてきたことは何一つ歪んでいない。彼が私にしてきたことも何一つ歪んでいない。互いに真っ直ぐである。2ヶ月後、試合が始まる。願っていることは最後の試合を私のために戦ってもらいたくはないということである。最後の大会の締めくくりをどうデザインするのか。自分で決めてもらいたい。活躍するとかしないとか、いいプレーができたとかできないとか、そんものはどうでも良い。この3年間で作り上げた自分の中にある譲れないもの・・・。これを出してもらいたい。最後の大会、彼は間違いなく活躍するであろう。そして、間違いなく私の中の最強の素人になる。それを見届けることが私の彼への最後の仕事である。そして、アレセイア湘南高校で学んだことをを活かして最高の「人」になることこそが彼が両親にする人生をかけた恩返しという仕事である。
さあ、最後の舞台の準備をしようではないか。
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